―老いて生まれ育った故郷でいかに幸せに天寿を全うするのか?―
○今回のポイント 1 老いても住みやすい家は1階で暮らしを完結できる家
○今回のポイント 2 老いても自立して暮らす家とサポートできる環境づくりが課題
東日本のあの大津波からもはや8年が経ちます。しかし未だ多くの人が避難所暮らしを強いられ原発周辺ではなおも帰還解除もできていないところも多く、のみならず突然盛土された高台状の大平原?はまるで砂漠のような体をなし売店のみが空しく建って、そこには未だ人が住まう街の界隈性もありません。そればかりか肝心の漁業や農業従事者は巨大な防波堤に阻まれそのやる気を戻せないでいるとも言う。
<盛土による砂漠のような高台果たして人が住むか?と売店(写真:天野彰)>
改めて海岸線が多いわが国の湾岸での住まい方や街の形を根底から考えるときが来て、そこに住む高齢者の人々の命をいかに守るかが問われる時代となったのです。確かにあの津波で多くのお年寄りが亡くなり、また助けようとした家族なども多くの人が波に呑まれたと言う悲しい被災例が浮上しているのです。
老いて我々はどこに住むか?日常の生活をどう過ごすのか?さらには生まれ育った故郷でいかに幸せに天寿を全うするか?
このことは湾岸のみならず誰もが平地で育ちその生活しか知らないお年寄りが突然高層のアパートやタワーマンションに住むと言う現実です。すべてが都市の合理的な原理と思しきことが、実際の老いの生活ではそうでなくエレベーターでわが家に帰った老人はなかなか“下界”に降りて来ないとも言う・・・。甚だしきは週に一、二度しか降りて来ず、結果その消息さえも認知されない状態になるとも言うのです。階段ならいざ知らず、たった二三階のエレベーターによる垂直移動でさえもかくも大きな障害となるものなのでしょうか?
確かに私がお手伝いした二世帯住宅でもエレベーターがあるとは言え二三階に住む老人がなかなか外に出なくなると言う不思議な現象に驚き、老いたら極力一階に住むことを勧めたり、あるいは高齢となったらその一階に住めるような設計にしているのです。
日常生活を守りつつ、避難できる家=セルフサポートが重要
そこで高齢者は普段できるだけ“地べた”に住むようにし、若い人たちが高層階に住んで。津波や水害時はその最短にある高台や安全な直上階に移る…。あの災害直後、NHKTV「明日へ…」の番組にてそうした施設提案。まさしく船や、中国は永定の「客家(はっか)」のような砦を街のあちこちに築き、いざとなったらまるでノアの箱舟に逃げるようなコロニー(イラスト:写真)などを提案したこともあるのです。
<「客家」のようにいざとなったら駆け込めるコローニー(画:天野彰)>
<永定「客家」土楼内部屋根は豚小屋など備蓄集合住宅(写真:天野彰)>
これなら今の地盤や海岸線をそのままに復興し、盛土の高台や巨大な防潮堤などを構築するよりもはるかに安価で、さらに街の景観や農地や漁港など元の界隈性(かいわいせい)を失うこともないと考えたのです。
つまり当たり前の生活をいかに守り、持続させるか?と言う提案だったのですが。放送があの大災害の直後でもあり、そうそう復興の提案など受け入れられようもなかったのかも知れません。しかしこのことこそが私が言う街も家もセルフサポートの考えだったのです。
実際に多くのお年寄りが住む家づくりのお手伝いをして思うことは、すぐに車いすの生活、即バリアフリーと言う発想が根強くあることです。しかし実際には誰もが当たり前の生活をいかに自力で生活し、それをいかにサポートして行けるかが重要なのです。そしてその生活をいかに優しくしっかり見守れるかが大切なのです。これが私の福祉施設や家の設計思想でもあるのです。
このことは今日のような情報化社会ではIT技術によっていかようにも遂行できるはずだと思うのです。
そこで次回は「老いていかに自立できるか?」をご提案を交え、ご一緒に考えて頂きたいのです。
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