生かすか壊すか今の家?(3)まずは生活基盤と地盤を見る
○今回のポイント 1 被災地の復興は未完成
○今回のポイント 2 住人が移り住むための生活「基盤」を整えることが復興では重要
○今回のポイント 3 復興とは後世に残すことを根底に考える街づくり
このゴールデンウィークあけに被災後7年の東日本大震災の石巻、南三陸町などを回ってきました。
もとの港の街の上に膨大な土砂でかさ上げされ、13mの防波堤や川の土手づくりが今も、もくもくとつくられていたのです。
道路もすべてがかさ上げされ、窪んだ所にあの何度も放映された悲劇的な防災センターの剥き出しの3階建て鉄骨造の「遺構」と、その対面に多くの人々を津波から救った4階建ての結婚式場高野会館が取り残されていて、そこにかさ上げされた高台?によって、無情にも雨水の逃げ場を失って水が溜まっているのです。この光景を見て、えも言われぬ不思議な心境となって帰ってきたのです。
<写真1:防災センターの「遺構」と周りのかさ上げ土地(撮影:天野彰)>
まさしく、家ではなく街や村の「生かすか壊すか」を目の当たりにしたような気がしたのです。実際には新設の防波堤より高い15メーター以上の津波に襲われた被災地は海が見えなくなった街となり、中途半端な高さの防波堤を前に地域の人は無言のまま居て、高台にあえて木造で建てられた商店街?が異様に静かに建ち、まるで道の駅のように観光客の売店となっているのです。
かつての町の界隈性にはほど遠く、まさに見世物小屋的様相に、店主たちは無言で働き、周りの高台の広大な裸の土地がまさに砂漠のようにむなしく荒涼としているのです。
今後この商店街の周りに人々が家を建て、移り住んでくれればと願い、祈るばかりなのです。まさに壊して新たに街つくることの難しさをまざまざと見せつけられ、被災地のまだまだ遠い復興の道のりに呆然としたのです。
頑丈な鉄筋コンクリート造の「高野会館」を生かすことが復興に繋がる
しかもこれが東北の沿岸部各地がすべてこうなっていると思うと、改めて4階建ての鉄筋コンクリート造の高野会館のような頑丈な建物を多く造り、とっさに人々が逃げ込めるようにし、街をもとの地盤のまま極力再現し、局所的に防波壁で囲う考えの方がますますよかったのでは、と感じるのです。
まさにあの結婚式場の3階までは津波によって内装は流されたものの、4階のホールに300人ほどを収容し、その命を救ったと言うのです。
<写真2:15メータ―の津波にも耐え生き残った内部「高野会館」(右写真 撮影:武藤英正氏)>
その会館の持ち主は、建物はリフォームをして生かせるものの、回りがこうもかさ上げされ、まるで窪地ようになった土地のビルは廃棄し壊すか?あるいは多くの“津波から命を救った証拠”の建物として「記念館」のように生かすか?に戸惑っているようなのです。まさに多くの犠牲者が出た「遺構」と対照的に、かさ上げなどなく景観と生活基盤さえあれば本当に生かせた「記念館」ともなったのです。
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