―「狭楽しさの発想」は800年前の鴨長明、そして400年前の利休によって完遂されているのです?―
○今回のポイント 1 日本の家の本質は1,000年もの間変わらずに「狭さを楽しむ」
○今回のポイント 2 風格ある家は、風の通る間取りと、シンプルな屋根がポイント
○今回のポイント 3 日本の「狭楽しさ」は茶室のわずか2畳から始まった
都市に住む人の住まいは狭い!狭いばかりか物に溢れ狭苦しい。その「狭苦しさ」から「苦」を取り去り、「楽」にし、そればかりか「楽しく」すればいい。それが私の“狭楽しく住む”の発想となるのです!これこそ、建築プランニングの「マルチフレックス」(多重性)と「マルチパーパス」(多目的)の手法です。
ところが、鴨長明は住まいそのもののなりわいを方丈記の中で、「住まいは1畳四方すなわち方丈で事足りる」と、空間と時間で見事に説きあかし、なんとその方丈記から100年余の、のち今度は「住まいは夏を旨とすべし」と、日本の家の逃がれようもない夏の暑さと湿気を兼好法師はその本質を環境学的に解き明かしたのです。
こうした強烈な記述に、寒冷地に住む人たちからは異論も唱えられたであろうが、法師はこれに輪をかけ、「寒い冬は暖かくすればいかなるところでも住まる!」などとくくっているのです。
「方丈庵」と「住まいは夏を旨」は、日本の家の本質が1000年もの間変わらずにいることに改めて驚くのです。

写真:角館武家屋敷の縁側と土間の外の雨戸(天野彰)
なるほど寒冷地も夏は暑く湿気るのです。しかも多雪地帯の湿気は特に悪いのです。
寒冷地もどこもやはり「傘の家」で、庇(ひさし)から幅広の板や藁(わら)で雪止めをし、雨戸を縁側と土間の外に引く(写真1:角館)など、冬の風通しを優先し、天気のよい日は極力風を通していたのです。(写真2:白川郷合掌造りの妻側)
ガラス窓もなく灯油もない時代、雨戸と障子に炉や火鉢で暖を取り厚着をして冬をやり過ごしていたのです。(写真3:白川郷の囲炉裏)

写真:白川郷合掌造り 冬でも妻側から通気(天野彰

写真:合掌造り 暖房の炉の四畳半(天野彰)
日本全国、クーラーやストーブに頼る今の快適とはまったく違った“快適”を求めていたのです。極力自然に回帰しようと、庇を深くし雨や湿気を避け、壁や屋根には断熱材をしっかり入れ、できれば床暖房にし、それでも寒ければ建具やシャッターを二重にし、逆に夏はそれらを引き込み、開放的にするのです。
床も高床にし、屋根はシンプルな傘のようにし、間取りも風のとおりの良いワンルーム、すなわち方丈庵こそが日本の家の自然と調和と機能となっていて、それがそのまま素直に風格のある家の形となっているのです。
現代の建築家はかってのブルーノタウトや,フランクロイドライトのような巨匠たちの感性は薄れてしまっているのかも知れませんが・・・、この文化的なずれはそのあと茶室を見たときにさらに如実となるのです。
数人ずつが、屈んで入ったとき「オー!アメイジング!ファンタスティック!」などと驚嘆し絶句するのです。今でこそ茶の精神性を理解する外国人も多いのですが、しかし本当に始めて茶室に招き入れるとまさに彼らは驚き、狭さの狭苦しい、息苦しさとは正反対の自己の精神の拡大や開放感が得られると言うのです。
実際にこうした空間に居て、障子や床(とこ)の掛け軸、そして天井の網代(あじろ)を見ているうちに“わが身の実態”がそこから消え、ごく普通の広さの空間と感じたり、障子窓がうんと遠いところにあるような錯覚を持つのです!わずか2畳にも満たない空間がはるか永遠の宇宙の広がりとさえ感じるのです。
ここに客人を迎え膝を突き合わせ座して、静かに茶を立てているあるじの息遣いも、客人の鼓動も聞こえてくるほどなのです。このスケール感の錯覚によって、太刀をはずし躙り口(にじりぐち)から招き入れられた客人には、小柄な大公秀吉がまるで巨人のように大きく見え、天下の諸侯たちに脅威を与えたのです。
この卓越した“狭さのプロデューサー”こそ、かの千利休ではなかったか?と思うのです。あの鴨長明から400年のちのことです。
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★天野彰先生の著書「狭楽しく住む法」 1983年2月発行

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